王道勇者
 
<表紙> <配役紹介> <用語解説> <目次>


by 中村嵐
19th SCENE 真空爆裂陣
 
 シモンが城壁から飛び降りた。腰鞘から魔法の短剣を引き抜き、逆手に持って構える。
「オッサン、決着を付けようぜ。ゲオルグの前に酒の肴にしてやるよ」
「まったく、せっかく見逃してあげたというのに、人間というものは本当に奇妙な生き物なことデス」
「そいつはこっちの台詞だぜっ!?」
 シモンが走る。刃が炎を帯び、槍の様に伸びる。その一撃を避け、回り込むブラッド。左手で爆裂弾をバラ撒きながらシモンは間合いを取ろうとする。何発かブラッドの胸で爆発が弾けたが、ブラッドは気にする素振りも見せずシモンに迫る。
「…シモンが押しているの?」
「ブラッドが一撃決めれば勝負は終わりです。シモンが手数を止めずに攻撃しているだけです。あれではそのうち球切れします」
 シルディの言葉にクリフが答える。ティアラは瓦礫のてっぺんに腰掛けて、高見の見物を始めた。
「ウフフフ…頑張りなさぁい、勇者様?」
「しゃらくせぇぇぇぇっ!?」
 シモンが懐に飛び込む。そして右の拳を振り抜いた。
「灼熱撃破弾!!」
 その拳がブラッドに届く前に、ブラッドの胸で爆発が起きる。炎に包まれるシモンの拳が、ブラッドの左胸へと減り込んだ。
「グッ…」
 シモンの顔が苦痛に歪む。ブラッドの持つ剣先が、左腕を切りつけていた。本来は脇腹を狙ったのだが、シモンがなんとか左肘でガードしたのだ。鋼の肘当てには、ぱっくりと筋が通り、そこから鮮血が流れていた。ブラッドの胸からも黒い血が流れていたが、彼は顔色一つ変えない。
「フフフ…終わりデスか?」
 シモンが無謀にも飛び込む。しかし、動きは明らかに悪くなっている。ブラッドはなんなく避けると、その背中に剣を振り下ろす。
「ウガァァァッ!?」
 シモンの背中が裂け、鮮血が飛び散る。石畳の上を転がり、はいつくばった姿勢でブラッドを睨み付ける。付いた血糊を剣を振って飛ばしながら、ブラッドはその前に立つ。
「少し浅かったようデスね。一思いに殺せず、ツライ思いをさせて申し訳ないデス」
「…くっ…」
 さすがのシモンも言葉が出ない。
「シ、シモンっ!?」
 庭の入り口に、レディとクラウドが立っていた。涙目のレディがこちらに駆けてこようとするが、クラウドがその腕を掴んで離さない。ブラットがその様子を横目で見ながらクククと笑う。
「オヤオヤ、女性を泣かせるとは、なかなかの色男なんデスね?」
「…バカにしてんのか?」
「いやいや、私は女性には優しいですから、貴方が詫びを入れるというのなら助けてあげてもよろしいのですガネ?」
「嘘をつけっ!!」
 短剣を下から振り上げる。剣先に炎が宿って、ブラッドの首を狙う。しかし、ブラッドは難なくかわす。
「仕方ありませんネ。その首、貰い受けまシタっ!」
「シ、シモンっっっ!?」
 振り上げられるブラッドの剣。レディの叫びが天を突く。その刹那、ブラッドがひらりと身を翻す。杖を構えたクリフがシモンの前に立つ。
「やれやれデス…本当に、人間は無粋で困ったものデス…」
「テメエ…余計なことをしやがって…」
「お前なんか死のうが知ったことはない」
 シモンの悪態に、クリフがやり返す。ぎろっとシモンが睨み返すが、クリフは背中を向けたままだった。
「どうせ死ぬなら、ブラッドぐらい倒してから死んでくれ」
「フン…お前も死ぬ気かよ?」
「さあな…結果として死ぬかもしれんが、死ぬためにやっているわけではない」
「サテ…そちらは選手交代というところデスか?」
 手首を回して剣を振るブラッド。その横にティアラが飛んでくる。
「やだあ。オジサマ、こっちも交代しようよぉ?」
「オヤオヤ、困ったお嬢様デスね…」
「…クリフ。五分あいつらを相手しろ」
「理由は?」
「五分耐えれば、テメエの望み通り三人まとめて道連れにしてやるよ」
「三人?」
「テメエも入ってんだよ!」
「相変わらずむちゃくちゃな人だな…」
「テメエだけ外すなんて無理だからな。死にたくなかったらよけろ」
「努力してみますよ。…ハッ!」
 印を切って、杖の先の緑の宝石が光り輝く。クリフの回りの空気が旋毛を切って、ブラッドとティアラ目掛けて飛んでいく。ブラッドは剣で切り裂き、ティアラは空に飛んでそれを避ける。
「ホホウ…人間の割りにはなかなかの魔力デスね…」
 クリフはひたすらに魔法を打ち続ける。それをあざ笑うかのように打ち消す二人の魔人。シルディが立ち上がろうとしたが、その腕をソフィアが離さない。
「ソフィア、行かせてよっ!?」
「…あの二人は心中する覚悟です。今王子が行ってはなりません…」
「そんな!…見殺しになんか出来ないよっ!?」
「…この戦いでどれだけの犠牲が出ようと、最後に立っているのはあなたでなくては行けません。だから貴方が戦うのは一番最後です。次は私が行きます」
「そんなのって…」
 涙目で乳兄弟の背中を見る。そして叫んだ。
「クリフっっ!」
「はあ、はあ…」
 がっくりと膝を付くクリフ。ティアラが地上に戻ってきた。
「やぁだぁ…もう終わりなの?」
「五分以上経ってないか?」
 後ろのシモンにつぶやく。シモンの左手がクリフの肩を掴んだ。
「おかげさまでオーバーヒート気味に溜まってるよ」
「フン…避ける体力まで使ってしまったじゃないか?」
「計算のうちさ」
 そこでふと、シモンが右手を見る。立ち尽くすレディの、涙に濡れた顔。レディもその視線に気付いたようだ。
「…クリフ?」
「…あばよ」
 そして立ち上がる。背中と左腕に激痛が走る。しかし、クリフに上に乗りかかるようにして、必死に膝に力を入れる。
「てめえら! シモン様一世一代の大花火を食らいやがれっ!」
 両手を交差させて高々と上げる。急速に収束する光。さすがのティアラとブラッドも目がくらむ。
「シモン…まさかっ!? ダメっ! そんな体で撃ったら…死んじゃうっっ!?」
 宙をつかむレディの右手。口から血を流しながら、シモンが叫ぶ。
「真空爆裂陣っ!!」
 中庭に閃光が広がる。目が潰れるかのような激しい光。そして急速に襲ってくる熱気。ソフィアがシルディを抱き抱えて防御陣を張る。遅れて轟音が鳴り響き、耳が聞こえなくなる。地面がめくれた。シルディとソフィアが石畳の上を転がっていく。
「な…何が起きたの?」
「これが…勇者シモンの、真の力…」
 光が段々と弱まっていく。中庭は爆発で土がえぐられ、窪んでいた。渡り廊下の柱もボロボロになり、城の壁も崩れて瓦礫で庭は埋まっていた。まさに焼け野原である。
「シモン様が万全なら、城ごと…」
「…シモンとクリフはっ!?」
 眩しさは無くなったが、埃が蔓延していてシルディは咳き込む。その横をレディが走り抜けた。
「シモンっ!?」
 レディが爆発の中央に走り込む。そしてそこにうつ伏せに倒れているシモンを抱き抱えた。
「シモン! シモンっ!?」
「…そんなにデカイ声出さなくたって聞こえてるよ…」
「シ、シモン…」
 レディはシモンの首筋に抱き抱えると号泣する。痛む左手を、ゆっくりとその肩にかけようとする。
「許しまセンっ!? 許しまセンよぉぉぉ!?」
 半分に折れた石柱が空高く吹き飛んだ。まっすぐに落ちてくるそれを、ブラッドの剣が真っ二つに切り裂く。漆黒の鎧はボロボロに切り裂かれ、死人のような青い肌が露になる。マスクがずるっと地面に滑り落ちる。思わずレディが目を背ける程の、異形の顔だった。
「この報いはっ!? わかっているのでしょうネっっっ!?」
「死に損ないがほざけっ!」
「ちょ、ちょっと!?」
 シモンも立ちあがる。しかしすぐにふらついた。慌ててレディが肩を貸す。咳き込んだシモンが左手を口に当てる。指の間から、おびただしい血が流れていく。
「シ、シモン!?」
「フン…女の肩を借りなければ立てないような男が、この私に立て付く気でスカ?」
「モテナイお前にはわからないだろうがな」
「死ねぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
 ブラッドが剣を振り上げる。レディはシモンに正面から抱き付く。その髪に優しく指を添える。剣先を見据えるシモン。しかし、その剣は降りてこない。
「バカな…」
「申し訳ないですね、割り込んでしまって」
 口から黒い血を吐きながら、ブラッドが前のめりに倒れた。その後ろに、クリフが立っていた。倒れたブラッドの首を上から切り裂く。そしてその場に跪いた。彼も体中に裂傷を負っていた。
「チッ…生きていやがったか」
「残念ながら、しぶとい方でしてね…」
 シモンの顔に笑みが浮かぶ。そして辺りを見回していた。
「あのお嬢チャンは消し飛んじまったか?」
「アハハ、そんなわけないでしょぉぉ?」
 その声は頭上。脇にミルキーを抱えたティアラが、ゆっくりと降りてくる。途中でミルキーをシルディがいる方に放り投げた。シルディが駆け寄ると、彼女も傷が酷く、朦朧としていた。
「そっちのお二人さん。あと無傷なのはあなたたちだけよ。遊び相手、してくれるんでしょ?」
 無言、無表情のまま、ソフィアが立ち上がる。
「姉上?…私はまだやれますっ!」
「貴方はもう下がっていなさい」
「し、しかし…」
「…女は引っ込んでな。これはオレ様の獲物だ」
「ちょ、ちょっとシモン!? まだやる気なの!? あっ?」
 ティアラがシモンの前に降り立つ。レディの足がすくむ。シルディの位置からも足が震えているのが見える。クリフも身構えるが、その圧倒的な威圧感に何も出来ない。
「…無様な姿ね」
「ガキが舐めた口聞くなよ?」
「…つまんなぁい!」
「あっ!?」
 ティアラの服が避け、刃へと姿を変える。シモンがレディを突き飛ばした。
「…どうしたの?」
 何故かティアラの服が元に戻っていく。そして後ろを振り返った。シルディやレディは、何事かと目を丸くする。しかし、ソフィアはその悪寒に表情を険しくする。
「ティアラ以上の魔力…そうすると、アレしか…」
 崩れ掛けた渡り廊下の奥から姿を現したのは、魔王ゲオルグだった。シルディの横でうずくまりながら、ミルキーが怯えた顔を見せる。
「ち、父上…」
「お父様ぁ、ティアラ、何か怒られるようなことでもしたぁ?」
 思わずゲオルグは鼻で笑う。由緒ある城の庭園を粉々にし、親族のブラッドが死んだのである。しかし、特に気を止めた素振りは見せず、娘の頭に手を乗せる。
「ちょっと用事があるだけだ。子供の玩具をとったりするような真似はせんよ」
 ゲオルグはシモンの前に立つ。レディが立ちあがって駆け寄ろうとしたが、後ろからクラウドに羽交い締めにされた。
「は、離してっ!?」
「貴方を振り解いたシモンの気持ちをわかってあげてくださいっ!」
「そ、そんなのって!?」
 ズルズルとレディはシルディの方まで引き摺られていく。シルディの前で、ソフィアは微動だにせず立っている。彼女がいるからこそ、シルディは攻撃されない。しかし、ソフィアもブラッドが討ち取られ、ティアラ一人になったからこそ戦おうとしたわけで、ゲオルグまでいるこの状況では手出しできなかった。シモンはくちびるの血を拭ってゲオルグを睨み付ける。
「フン、やっと大将のお出ましかい。待ちくたびれたぜ?」
「ほう…私と戦う気か?」
「当たり前さ!」
 シモンが右手を振り上げる。気が溜まっていく。ゲオルグは手出しをしない。
「先程の魔法、撃てる様なら、撃ってみたまえ」
「…あの世に行ってから後悔しても遅えぜっ!?」
 両手を頭上で交錯させる。収束する光の筋。しかし、その光は辺りに散ってしまう。シモンは膝をつき、血を吐きながら咳き込んだ。
「ち、畜生…」
「人間にしておくのには勿体無いほどの魔力だな。しかし、体がついていかないようだな」
 ゲオルグが右手でシモンの首を掴む。片手で頭上高く持ち上げた。
「テメエ!…離しやがれっ!」
「くそっ!」
 クリフが魔法を放つ。ゲオルグは左手だけでそれを薙ぎ払った。
「なかなかの魔力だな。確か、アドレアの宮廷魔術師だったかな…」
「そう簡単には…何っ?」
 体が動かない。ゲオルグに睨みつけられただけで、指1本さえ動かなかった。体中に、黒い煙のようなが物がまとわりついていた。
「クリフ…」
 ソフィアが魔法で援護しようと試みる。しかし、その間にティアラが割って入ってソフィアは眉をしかめる。
「あなたの相手は私だよっ! お父様の御用時が終わる前に始めちゃうの?」
「……」
「アハハハハ! 面白そうだから、もうちょっと大人しく見てなさいよ!」
 ゲオルグはクリフの首も左手で掴んで持ち上げた。シモンの意識はすでに遠のいている。クリフは両手をゲオルグの左腕に叩きつけるが、細見のゲオルグの両腕は、信じられないぐらいに筋肉が隆起していた。大の男二人を持ち上げても、顔色一つ変わっていなかった。
「二人とも、人間にしておくには惜しい。私がその魔力を永遠に保つ姿に変えてやろう。…はぁぁぁぁぁぁぁああああっっっ!!」
 ゲオルグの体から、魔力が溢れ出し、黒い煙が立ち込めていく。それと共に、シモンとクリフの体も、煙に包まれていった。
「ク、クリフ! え?…そんな…」
 シルディは目を疑った。クリフの体から、白い粉がこぼれて、地面にさらさらと流れていく。靴が地面に落ち、ズボンは物干しに干されたように揺れている。シモンの体も同じだった。
「シモ〜〜〜〜ンっ!?」
 レディの叫びがこだまする。涙で歪んだ視界の映る、彼の姿はどんどんと小さくなっていった。二人の頭部が同時に消える。そして、ゲオルグが掴んでいたはずの首は、剣の塚になっていた。二人の衣服がずれ落ちると、真っ赤な大剣と、濃い深緑の刀が姿を見せる。
「ティアラ、後は好きなようにしろ。しかし、兄弟喧嘩はいいが、程々にな」
「は〜い、わかってますよぉ!」
「…ミルキー。おいたも度が過ぎると、お仕置きだけではすまんからな?」
 魔王は最後に、末娘にそう言って来た道を戻っていった。壮絶な光景を目の当たりにして、人間たちは声も出ない。ミルキーが一人、地面を叩いて涙を流す。
「私は…私は…父上にも相手にしてもらえないのか…」
 
by 中村嵐
20th SCENE  天星砲撃陣
 
「さぁてと、あたなはなかなか強そうだから、楽しめそうねえ。ウフフフ…」
 ティアラがうれしそうに微笑んだ。ソフィアは杖を持って構えるが、動かない。ティアラはくちびるを尖らせる。
「攻撃してこないのぉ? つまんなぁい!」
 ティアラの服が刃上に裂ける。その刹那、ソフィアの目がクワッと見開かれる。二人の間の地面が盛り上がってその刃を防ぐ。さらに両脇から氷の刃がティアラを狙う。彼女がくるりと身を翻すと、黒い霧が沸き上がって魔法を弾く。
「ウフフ、面白〜いっっっっ!」
 嬉々として魔法を打ち続けるティアラ。ソフィアはそれらを全て弾きながら、時折攻撃を織り交ぜていく。そんな光景を見ながら、シルディの顔は青褪めていた。
「いつも控えめだとは思っていたけど…これが本当の…ソフィアの力…」
「雷水風地火…人間の癖に、全ての元素の魔法を寸分無く使えるなどと…信じられん…」
 膝を着きながら、ミルキーも目の前の魔法戦をただ見守るしかなかった。ミルキーの横では、レディがただ泣きじゃくっていた。
 一端魔法が止まる。ティアラが攻撃を止めたのだ。ソフィアは表情を変えず、ただ身構えている。ティアラは瓦礫の山の上に降りて、パタパタと手で顔を仰ぐ。
「ふう〜〜。生まれてこの方、こんなに魔法を使ったことないから、少し疲れちゃったぁ」
「……」
「でもぉ、うれしいわ。私、本気出したこと一度も無いから、自分でもどれくらい魔力を持ってるか、よくわからないのよねぇ。願わくば、限界ってものを今日は感じさせて欲しいわぁ。ま、さすがにそれは高望みかもしれないけれど。キャハハハ!」
 ブォンと空気が擦れる音。瞬時にティアラの頭上に漆黒の電撃弾が作られる。そして目にも止まらぬ早さでソフィアに襲い掛かる。バジュンという空気が弾ける。その倍以上の早さで電撃が跳ね返され、瓦礫の山が消し飛んだ。ティアラは上空に瞬間移動していて、そこから落雷を呼ぶ。ソフィアが防護陣を張って電流を地面に散らす。揺れる大地にシルディは尻餅を着く。再びティアラが着地した。
「ちょっとぉ、貴方も攻撃しなさいよ。後ろのをかばっているのはわかるけどぉ、攻撃しないから、お互い本気で殺し合いましょ?」
「……」
「もう、魔族の方が人間より信用できると思うのになぁ。まあ、いいや。貴方がそうなら、もうちょっと楽しみたかったけれど、溜められるだけ溜めて撃ってあげるから、受け止めて頂戴ね。そうしないと、この城ごと吹き飛んじゃうから、アハ!」
 そう言ってティアラが空高く舞い上がる。太陽を背にして、見上げたシルディの目がくらむ。くるりと回ってから、ティアラは右手を掲げる。手のひらの上の黒い球体が、恐ろしいほどのスピードで膨れ上がっていく。太陽が隠れ、中庭が影に包まれる。
 カクンとソフィアの膝が曲がった。曲がったようにシルディが感じた時には、彼女の姿は今いたそこにはなかった。ティアラが腕を振り下ろす。ティアラ目掛けて飛び込んだソフィアの頭にエネルギー弾が直撃する。
 バリリと雷が落ちたような音。魔法弾が霧状になって拡散した。続いてドゴォンという爆発音。空気が震え、シルディは頭を抱える。
 ゆっくりと目を明けると、中庭の中央にティアラが立っていた。ドレスは切り裂け、腕から黒い血が流れている。そして広場の片隅にソフィアの姿を認める。
「ウフフフ…私の魔法を打ち消した上で、さらに瞬時にあんなに強い魔法を打ちこんでくるなんてぇ。ほんと、人間にしておくのが惜しいわぁ。ま、人間だから殺しちゃうけどね。アハ!」
 ソフィアは動かない。シルディは叫びたい衝動を抑えた。ソフィアのいる場所は反対側である。ティアラの方がこちらに近い。彼女の気に留まらないように、ただ息を潜めるしかなかった。
「どうしたの? またこっちからなのぉ?」
 そう言うや否やティアラは低空飛行でソフィアに跳び掛かる。ソフィアは動かない。魔法と魔法がぶつかりあって火花が散る。ティアラは真上に飛び上がる。しかし、そこで首を傾げた。
「あれぇ?」
「ソフィア!?」
 息を荒くしながら、ソフィアが膝を付いていた。シルディが思わず駆け寄ろうとするが、その眼前にベスティアがすうっと肩口から飛んでくる。シルディに背中を見せたまま、ベスティアはソフィアをじっと見ていた。
「…キュベレとの戦いで…魔力はほとんど…使ってしまったから…まだ、回復してないのね…」
「そ、そんな…」
 キュベレとの戦い。元はと言えば自分のせいだ。強烈な懺悔の念にとらわれるシルディの視界に、上からゆっくりとティアラが降りてきた。
「ウフフ…やっぱぁ、人間じゃ底無しというわけにはいかないわよねぇ。もう少し楽しみたかったけどぉ…終わりね」
 右手を掲げるティアラ。しかし、そこにナイフのような刃が襲い掛かる。ティアラの回りに結界が張られて、その刃は力無く地面に落ちた。シルディの北斗だった。
「王子…」
「あらあら、能無しの主君の癖にでしゃばっちゃって…せっかくの忠臣の努力も水の泡ねぇ…」
「我々はお前の玩具じゃない!」
 昴を抜いて前に出る。足がガクガクと震えていた。ティアラに近付いているつもりが、全然距離が縮まらない。恐る恐るの一歩しか、足が出なかった。
「愚かな神の作った人形じゃない? 人形で遊んで何が悪いのかしら?」
 ティアラの体が少し沈む。飛び立つ前の予備動作。そこにソフィアが魔法を叩き込んだ。吹きあがる爆煙。その中からティアラが飛び出した。シルディに一直線。ソフィアも平行に飛ぶ。ティアラは軌道を上向きに変えた。恐怖で腰が引けていたシルディは、それで尻餅を着いてしまう。その横にソフィアが着地する。
「ソフィア…」
「…逃げます」
「に、逃げるって…」
「勝ち目が無いなら逃げるのです」
 シルディを小脇に抱える。しかし、上空から無数の氷の槍が降り注いだ。結界を張って身を守るが、段々と薄くなっていく。
「…もう少し持ってくれれば…」
 ソフィアが顔を歪める。命を使い果たしてでも、飛び立つしかない。体の奥で沸沸と魔力を溜める。泣きじゃくりながら、その勢いを感じるレディ。
「もう、誰も死んじゃ嫌…」
「な、なんだお前は?」
 クラウドが場違いな声をあげる。レディが横を見ると、そこにキルシュがいた。ふわふわと滑空してぼろぼろになった中庭を眺める。
「あらら、随分と派手にやってるわね…」
「ど、どうやってここに?」
「あら、あんた生きてたのね。まあ、話すと長くなるからやめとくわ」
「…そういう、問題なのかしら?」
「げげっ!? ベスティア…あ、ちょうど良かったわ。お願いがあるんだけど」
「…なんですか?」
 するとキルシュは、右側を指差した。中庭の片隅に、古ぼけた井戸があった。
「あの中、重力反転してくれない?」
「…そんなこと、私程度の魔力で、出来るわけありません」
「まあ、そうだと思うけど…」
「あれはカトルのコ・エンゲル…一人なの?」
 シルディのつぶやき。かすかな希望。聞き耳を立てていたソフィアは、今溜めた魔力を井戸に向かって撃った。
「きゃあああああっ!?」
「うわわわわわわっ!?」
 男女の悲鳴。井戸から飛びあがる人影。キルシュが急いで浮揚の魔方陣を出す。カトルとエクレアが、そのバネでポンポンと跳ねて地面に落ちる。
「か、カトル…いまさら…バカモノが…」
 そう言いながら、ミルキーの顔がくしゃくしゃになる。素早く立ち上がったカトルは、回りをさっと見回すと、腰からクリスタル・ソードを抜いてティアラを見上げた。
「いたたた…お、王子!? 御無事でしたか?」
 エクレアがシルディに駆け寄る。シルディの目から、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
「エ、エクレア…」
 彼女の胸に顔を沈めて泣き始める。ソフィアは真っ直ぐにカトルを見つめていた。
「貴方が…最後ですのよ」
「あらあら、随分と遅い御到着なのね」
 ゆっくりとティアラが降りてくる。カトルは微笑み返す。
「お待たせしてしまって面目ない」
「…むかつくのよっ!」
 ティアラの服が切り裂け、刃になってカトルに襲う。右手に持ったクリスタル・ソードが閃光をきらめかす。回転斬りで、その刃を消し去った。
「お嬢さん、はしたないですよ?」
「…あんたの方が年下でしょ?」
「本当は。みんなじっくりといたぶってから殺そうと思ってたんだけど…気が変わったわ」
 その声にカトルとキルシュが顔を上げる。少女のようなティアラの顔は、邪気にまみれて歪んでいた。
「今すぐ殺すっ!」
 
 魔王城の地下。ゲオルグは闇の炎が燃え盛るたいまつ台の中に手を伸ばす。漆黒の長剣が、そこから現れる。
「フン…ブラッドの奴も、こうなってしまっては不憫なものだ」
 そう言って、床に描かれた五芒星の頂上にブラッドの剣を刺す。その左右に、シモンとクリフだった、赤と緑の剣が刺してあった。その下は、魔神から作られた二つの剣だ。
「…どうやらまた来客が来たようだし…試し撃ちでもするか」
 五芒星の中央に鎮座する。そして両手で印を組んだ。
「…まあ、ティアラならよけるだろう」
 
「グオオオオオオオッ!?」
 獣化したティアラが、空高く舞い上がって魔力を溜める。どんどんと膨らんでいくそれは、中庭の広さよりも大きくなろうとしていた。ミルキーが血相を変えて叫んだ。
「あ、姉上!? 城ごと消し去るつもりか!?」
「ヌオオ!?」
 ティアラは答えない。逃げたところで、この辺り一帯は消し飛んでしまう。ソフィアはシルディの肩を抱いた。
「な、何?」
「…お守り出来るかわかりませんが、決して離れないでください…」
「そんな…カ、カトルッ!?」
 彼はただ上を見上げていた。そして胸に手を当てる。クレリアアーマーの胸部に、漆黒の宝石がはめ込まれていた。
「キルシュ。頼むよ」
「ええっ!? 本当に天使にそんなもの使わせる気!?」
「いくよ!」
「聞いてないし…ハイハイ、さっさとやっちゃってよ」
「…カーバンクル、行けっ!」
 カトルが胸の宝石を外して地面に投げる。じゅうという音がして、石畳が溶ける。その上空にキルシュが止まった。
「生きとし生けるも全てを慈しむ、聖母・アウロスの使徒たるキルシュが命ず。汝、闇の力を封印す暗黒の御霊よ。カース オブ ダークネス! 今こそその力を解き放ち、勇者の元にその禍禍しきも雄々しき姿を見せ給えっ!」
 くるりと回ると、キルシュの羽から光り輝く粉上のものが漆黒のカーバンクルの上に振りかかる。激しい発行。雷雲を呼び、宝石がその場で激しく回転する。魔法陣が炎の筋で描かれる。カーバンクルから漆黒の炎が唸りを上げて天を突く。
「な、何? なんなの、これは!?」
 シルディが激しく揺れる地面をつかむようによろけながら叫ぶ。ソフィアは苦虫を噛み潰した表情でその邪気に満ちた焔を睨み付ける。
「七色聖の仕業?…随分と余計なものを…」
 しかし、それとは別に、ソフィアは上空に膨大なエネルギーを感じていた。カーバンクルが呼んだ雷雲の、そのさらに上、雲一つ無い空間に、無色のエネルギーが渦巻いていた。
「ゲオルグ…」
 カトルが闇の火柱に右手を入れる。てのひらを伝わってくる邪気に顔を歪める。それを深呼吸して耐えると、一気に引き抜いた。その動きに合わせて、炎が上空に跳ねる。カトルが火柱を掴んで持っているような格好になった。両手で柄をつかんで、激しい振動に耐える。やがて漆黒の炎が消えていき、宝石の色艶と同じ刃を持つ、巨大なバスタードソードがその姿を見せた。
「なんだかわけのわかんないもの出したって遅いのよっ!!」
 ティアラの体がくるりと回る。彼女の頭上にあった、余りにも巨大な漆黒のエネルギー弾が中庭目掛けて飛んでくる。キルシュがカトルの背中に隠れた。
「しくじったら承知しないわよっ!?」
「頑張ってみるよ」
 巨大過ぎるエネルギー弾は、中庭の周りの建物を破壊する。そして一気にカトルに近付いた。カトルは回転切りの要領で暗黒剣を振る。
「せいっ!」
 バシュンと音が弾ける。両手で柄を握って、魔法弾の勢いに耐えるカトル。目前でバチバチと弾けるエネルギーに、エクレアはシルディを伏せさせる。
「こんな…耐えられるの?」
「カトルなら大丈夫です…」
 そんなエクレアのの言葉も心許ない。ソフィアは身を屈めたままカトルの後ろに近付いた。
「ソフィアさん?」
「お手伝いしますわ」
「ええっ!?」
 そう声を上げたのはシルディ。ソフィアはカトルに背中から抱きついた。耳元でささやく。
「私も一緒に吸収しますわ」
「…僕の命まで吸わないで下さいよ?」
「残念ながら、今はそこまでの余裕はありませんね」
「それは安心です」
 カトルの胴に回す手に力が入る。その刹那、二人の周りの空気が渦巻いた。カトルの首筋につかまっているキルシュが悲鳴を上げる。
「何!? なんなの!?」
 急激にエネルギー弾が縮まっていく。暗黒剣が全てのエネルギーを吸収し、またソフィアがカトルを媒介にして暗黒剣のエネルギーを吸っていた。目の前の光景に、ティアラは苛立つどころか、歓喜の声を上げていた。
「何をしてるかわからないけど、人間如きがやるじゃないのぉ! それでこそ勇者様よね。でも、もう1発お見舞いすれば耐えられないわよねぇ…うん? なに?」
 上空を見上げる。暗黒剣が呼んだ雷雲が晴れ、そらに魔力の重点を感じる。
「お父様まで城ごと壊す気なの? もう、お父様も意外とせっかちなのね…」
 中庭は水蒸気のようものに包まれていた。疲労困憊のカトル。先程より肌艶の良いソフィア。カトルが剣を構え直した。
「…よそ見しているうちにやりなさいよ」
「不意打ちですか?」
「あの魔族ならどうってことないでしょう」
「それもそうですね」
 多量のエネルギーを帯びてバチバチと音を弾かせる暗黒剣を、カトルは上空のティアラ目掛けて振り上げた。
「いけっ! シャドウ・ストライクッ!!」
 振り切った暗黒剣から、吸収した全ての魔力が一筋の帯になって解放される。ティアラは慌てて結界を張った。
「この感じ…私の魔力!? 全て撃ち返すなんて!?」
 上空に押されていくティアラ。しかし、自分が撃ったエネルギー総量と比べるとだいぶ少ない。充分耐えきれる。そう思った時だった。空が赤く光った。そして真っ直ぐに中庭目掛けてエネルギー上の帯が降りてきた。
「お、お父様っ!? まだ早い…あああっ!?」
 上下からの強烈なエネルギーにティアラは挟まれる。賢明に結界を張って耐えるティアラ。中庭の面々も血相を変えた。
「あ、あんな魔法…む、無理よっ!?」
「王子、あきらめてはなりません…カトル!?
 カトルも膝をつく。暗黒剣から伸びる筋が一瞬歪んだ。キルシュがぽかぽかと頭を殴る。
「ちょっと! しっかりしなさいよ!」
「そうは言っても…この上空の力は…強過ぎる…」
「あんたがやらなきゃ終わりなのよ!」
 キルシュが怒り狂って叫ぶ。さらに罵詈雑言を浴びせようとするが、その言葉をソフィアが遮った。
「…そうでもありませんよ」
 そういってソフィアが宙を飛ぶ。ティアラの真横で滞空する。二つのエネルギーに挟まれて苦悶の表情を浮かべる彼女は、ソフィアを確認するが言葉を出す気力は無い。
「先程頂いたもの、お返ししますわ」
 そう言いながら、恐らくこの島に来て初めて、ソフィアは微笑んだ。右手を突き出すと、そこから電撃が放たれる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 大爆発。鼓膜が破れんばかりの轟音に、中庭の女性たちは耳を塞いで地面に身を伏せる。その煙をかき消すようにして、上空から光の帯が降り注ぐ。カトルはエネルギーの放出をやめて、暗黒剣で受けの姿勢を見せた。
「…あれ?」
 光の帯は、途中で消えた。そして雲一つない青空が、見上げる視界に広がっていた。そしてソフィアがゆっくりと、カトルの横に降り立つ。彼女が降りてくるのを待って、カトルは暗黒剣を宝石に戻して胸にはめた。
「まったく、勇者ともあろう方がそんな邪剣を使って…」
 そういってソフィアは、いつもの気難しい顔に戻っていた。
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