やきゅつくGM日記アドバンス
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・これはプロ野球チームをつくろうアドバンスのプレイ結果を元に中村嵐が脚色したものです。GMと秘書はゲーム中にはこのような会話はしません。
・トレードは、実際にコンピューターとの間で成立したものです。御参考にどうぞ。但し、プレイ状況によっては成立しない場合もありますので御了承ください。 

<1年目〜> <11年目〜> <21年目〜> <31年目〜> <殿堂入り選手&チーム遍歴>

第一期黄金時代 〜8年目-12年目〜
リーグ5連覇 4年連続日本一 関根ブレーブス
 6年目、チーム創立以来最高順位の2位になったブレーブスは初優勝を目指しての7年目だったが、結果は6位と大誤算。オフには近藤監督と大野豊投手コーチを更迭し、元ヤクルトコンビの関根監督と伊東投手コーチを迎えた。また実質的にチーム初のFA補強(それまで獲得したFA選手はみんな若手であった)として、広島からベテラン・サードの新井を獲得した。そして見事にリーグを五連覇、日本一にも4年連続で輝いて強豪チームの仲間入りを果たした。
 チームを支えたのは強力投手陣とトリプルストッパーであった。打線は首位打者常連の川口が1番にすわった。盗塁は20弱だが3割5分以上の打率で常に出塁し1番バッターとしての重責を担った。3番から6番まではつくろう選手、新井、ペタジーニ、濱中と3割40本クラスの選手が並び、打撃3部門を毎年のように独占した。
 抑えには豊田の他に、佐々木と小林宏の左右のセットアッパーが君臨。二人とも他のチームなら充分ストッパーとして通用する力を持ち、度々二桁勝利を挙げた。先発が降板しても佐々木と小林宏が好投している間に打線が逆転というパターンで9年目には104勝36敗という日本記録を残す。
 先発は毎年顔ぶれが変わる形だったが、その中で岩隈がエースとしてチームを支えた。9年目から11年目まで3年間で70勝(21、25、24)を挙げ3年連続最多勝利、防御率も1点代で最優秀防御率1度、MVP2回を獲得した。
第二期黄金時代 〜14年目-25年目〜
12年間でリーグ優勝8回・日本一6回 KKブレーブス
 第1期黄金時代のメンバーが次々と引退・移籍していく中、特に野手の落ち込みが激しかった。14年目の段階で残っていたのは、濱中・古田・高橋慶彦とつくろう選手だけであり、濱中は既に全盛期の力はなく、15年目のオフには引退している。
 その中で若手の選手として期待されたのが小久保と清原、二人のKであった。小久保は12年にダイエーから、清原は13年に西武から移籍した。二人ともそれぞれのチームにドラフト一位で入団した大型野手だったが、投手に比べて若手野手の少なかったブレーブスが白羽の矢を立てた形になる。小久保は13年目から、清原は14年目からレギュラーに定着する。清原は12年間不動の4番に座り、小久保は3番ないしは5番に入り、リーグ随一の強力投手陣に比べて強いとは言えない打線を二人で支えた。チームは12年間で8度のリーグ優勝(連覇は3回が最高)、うち6回が日本一とセリーグの覇者として君臨した。KKコンビも打撃タイトルを独占し、清原がホームラン王4回・打点王4回(ニ冠が三回あったが、いずれも打率2位だった)、小久保が三冠王2回とホームラン王1回の活躍で投手陣をサポートした。
25年目、ホームラン21本に終わった37歳の小久保が引退すると34歳の清原もFA移籍、KKコンビは同時にブレーブスを去った。
 その他、KK時代に活躍した選手
・タフィ・ローズ 復活で巨人に入団し、主力として活躍していた。17年目に打線の教化を狙ったブレーブスが中堅選手の堀とのトレードで獲得。首位打者を三回獲得するなど、KKコンビと共に打線の中核を担った。23年目、ブレーブスが財政危機に陥ると、39歳・年棒十億円ということからリストラされた。
・ヤーナル 復活で13年目にブレーブス入団。清原がブレーブスへ移籍したのと同年である。前半は今中・川口、後半では桑田・加藤康などが先発として活躍したが、KK時代の12年間、ヤーナルはローテ投手としてブレーブス強力投手陣の中核を担った。

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殿堂入り選手
川口憲史 一塁手兼外野手 2年目-10年目 9年間
チーム設立2年目に近鉄からトレードで入団、4番一塁手(チーム編成の都合から時折外野も守った)として活躍。創立間もない弱小チームで主軸としてチームを引っ張った。第一期黄金時代にはペタジーニの移籍に伴い、1番ライトと打順・守備位置ともにコンバート。盗塁は10〜20だが4割近い出塁率で優勝に貢献した。
10年目のオフに35歳にしてポジティングを希望し、海外に移籍した。首位打者を3度獲得。
新井貴浩 三塁手 8年目-13年目 6年間
広島で強打の三塁手として活躍。31歳でFA宣言するとブレーブスと契約。最初は6番サードで強力打線の一角を担う。10年目は開幕直後から絶好調で5月から4番に入り、三冠王を獲得。成績はその年が頂点だったが、前後して多くの打撃タイトルを獲得し、MVPも2度獲得した。
12年目を25HRで終えると、翌年は若手の小久保がサードに抜擢されたため控えに回り、シーズン後に引退した。
ちなみに移籍前の広島で4年連続でリーグ制覇をしており(日本一は2度)、新井個人では9年連続リーグ制覇、6年連続日本一を経験したことになる。
岩隈久志 投手 1年目-13年目 13年間
ブレーブス創立に際しての拡張ドラフトで一位で指名を受け、近鉄より移籍。先発投手として期待されたが、毎年10勝ラインを前後する成績を続け、一時ストッパーに回ったことも。8年目に17勝を挙げると、翌年は21勝で初タイトル、防御率も一点代の活躍で一躍飛躍する。3年連続20勝+防御率一点代の活躍を残し、リーグ五連覇を支えた不動のエースとなった。
13年目は体力の衰えから5回前後までしか投げることが出来なくなり、6勝に終わる。球の力はまだ充分にあったが先発投手としては限界を迎え、そのオフに33歳の若さで引退した。
小林宏 投手 3年目-14年目 12年間
ロッテから移籍した右のセットアッパー。ブレーブスのトリプルストッパーの一角として10年以上に渡ってチームを支えた。中継ぎながら二桁勝利が3度ある。150キロのストレートとフォークボールが武器で、他のチームなら充分ストッパーとして通用した。そんな彼がリリーフ陣では3番手という層の厚さが第一期黄金時代のブレーブスの強さでもあった。
濱中おさむ 外野手 3年目-15年目 13年間
阪神で控えになっていたところをトレードで移籍。外野のレギュラーとして起用された。第一期黄金時代には五番センターとして強力打線の一角を担う。その後主力打者が移籍・引退する中で若手主体のチームで最年長選手としてチームをまとめた。KKコンビ(小久保・清原)とも2年間、クリーンナップを組む。
タイトルはMVP1度、ホームラン王2回。打点王3回。いずれも黄金時代の後である。新井とペタジーニの前に常に3番手だったため。
張志家(チャンズーチャ) 投手 2年目-17年目 16年間
2年目に復活したところをスカウトが発見し、同じ西武の台湾コンビ、許銘傑と共に入団。入団して即、ローテーション投手として活躍した。許は途中でFAでチームを去るが、張は36歳で引退するまで16年間、ブレーブスで先発一筋で活躍した。第1期黄金時代はエースとして、KK時代も先発投手として活躍、引退した年にも10勝を挙げている。
残念ながらタイトルは一度も無し。また、GBAは通算成績の履歴が無いので不確かだが、ほぼ毎年二桁勝利を挙げているので、200勝はしたと思われる。
佐々木貴賀 投手 4年目-18年目 15年間
高卒2年目にして日ハムで左の中継ぎエースとなる。ブレーブス創立4年目にトレードで移籍。以後、38歳で引退するまで15年間、ブレーブスの左のセットアッパーとして活躍した。7年目と8年目はストッパーでセーブ王一回。二桁勝利はニ回。9年目からは豊田と10年間に渡りダブルストッパーとしてコンビを組む。リーグ5連覇時には小林宏も含めたトリプルストッパーでチームに貢献、3人で挙げた年間のセーブポイントは毎年60以上にもなった。
豊田清 投手 9年目-20年目 12年間
復活で西武に入団。ブレーブス9年目にトレードで入団。西武ではまだ控えだったが、移籍後すぐにストッパーに抜擢される。以後19年目に小林雅にその座を譲るまで10年間にセーブ王に7回輝く。通算成績表が無いのではっきりとはわからないが、毎年40〜50セーブ挙げていたので通算で400セーブは達成していると思われる。佐々木と組んだ左右のダブルストッパーは10年に渡り、第一期黄金時代、そして小久保・清原のKK時代を支えた。
古田敦也 捕手 7年目-21年目 15年間
阪神に復活入団後、若手のうちにブレーブス移籍。10年目にレギュラー抜擢。以後、20年目までの11年間、不動のレギュラーとして活躍。第1期黄金時代も在籍していたが、真に活躍したのはKK時代になる。最初の数年は粗さが目立ったが、後半は見事なリードで投手陣を引っ張った。打撃面でも16年目には首位打者も獲得するなど、恐怖の8番打者として活躍、故障者が出た際にはクリーンナップも任された。
パウエル 投手 13年目-22年目 10年間
復活してスカウトに発見されたところをブレーブスと契約。当初は先発兼中継ぎであったが、KK時代全盛期には先発投手として7回のリーグ制覇に貢献した。タイトルこそ無いが、川口・ヤーナルと二人の偉大な左投手がいる中で、右の先発一番手として重要な位置を担った。
小久保裕紀 三塁手兼二塁手 12年目-25年目 14年間
ダイエーに復活入団した翌年の12年目、第1期黄金時代の名三塁手、新井の後釜としてブレーブスに移籍。翌年からレギュラーとなった。14年目からは清原とKKコンビを組み、12年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一という栄誉を支えた。19年目からは引退までセカンドを守った。三冠王2回、単独での打点王が1回。前任サードの新井は三冠王一度であり、それを超える活躍を見せた。

<1年目〜> <11年目〜> <21年目〜> <31年目〜> <殿堂入り選手&チーム遍歴>